2016.3.18 【三喬喬太郎二人会@堂島・エルセラーンホール】

三喬喬太郎二人会】

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毎年3月、僕が大阪で開かれてる二人会ではベストだと思ってる会が今年もやってきた。ネタ出しで、珍しく喬太郎さんは二席とも古典。これは四季の噺を並べるという企画によるのだけど、プログラム見て特に新作のないさびしさみたいなのは全く感じなかった。
そして、エルセラーンホール。ここは大阪の中ホールの中で僕が一番観やすくて聴きやすいと感じている場所だ。いいホールで最強の二人会、まあ結果は最初から明らかだったわけだ。

海舟 / 初天神 (正月)
喬太郎 / 花見小僧 (春)
三喬 / 鹿政談 (秋)
仲入り
三喬 / 蛇含草 (夏)

海舟さん、知らなかったけど、小里んさんに42才で入門し去年57才で真打になったという人だ。でも見た目若々しくてそんな年には見えなかった。
初天神」はリズミカルにきっちりと、ひとつひとつ受けていって、みたらし団子まで。この噺、東西どちらでもよく聴くけど、上方の寅ちゃんより江戸の金坊の方が子供らしくてかわいいな。上方落語の子供は大概半分ぐらいは小生意気さが混じってる。それはそれで悪くはないんだけど。

続いて喬太郎さん、いきなり「今日の出演者の中で僕が一番若いので、今日はフレッシュな喬太郎でいきます」
そこから、落語教育委員会で東北を回った時の話が始まった。三人のポスターについたそれぞれのキャッチで受けてる最中に前方で高らかにケータイが鳴る。すかさず 「いいタイミングですね。いま落語教育委員会では会の最初にコントやってそのテーマがケータイの電源切ろうなんです。これ以上ないタイミングです。」
喬太郎さんイレギュラー発生時の処理の仕方がいつもあまりにも上手い。一瞬仕込み?と思うほどに。
話それるけど、喬太郎さん落語教育委員会を関西でもやってくれないかな。誰かが嫌がってるのかな。
で、ネタは「花見小僧」。知らない噺と思っていたけど、おせつ徳三郎の前半なんだな。喬太郎さんの子供も可愛いな。でも、この人の落語ってウエットにならないんだよね。怪談噺なんかほんとうに怖いんだけど、じとっとした怖さじゃない。そのあたりも喬太郎さんにひかれる一つの理由だろう。しかし、なんか初天神と少しつく気がするなと思っていると、スコンと終わった。

次は三喬さん、「大体秋の噺が少ない。代表的なのが上方ではまめだだけど、他と言うと…」
鹿政談が秋なのかと思ったけど鹿は秋の季語らしい。
「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」 (猿丸太夫
百人一首のこれだな。そこから小噺をいくつかしてネタに。奈良名所の言い立てがいいな。
でも、鹿政談、僕はもう飽き気味で正直演者が誰でもあまり積極的に聴く気がしなかった。三喬さんではかなり以前に一度だけ聴いてる。でも今日でひっくり返った。やっぱりストーリーのしっかりしてる噺は誰で聴いても変化が乏しくなるので飽きてくるのだと思うけど、今日の三喬さん、まず声が圧倒的にいい。噺の筋とか関係なく聴いてて気持ちよくなってくる。これがやっぱり古典の醍醐味だ。
以前、同様に飽きていた「天狗裁き」を千朝さんの一席でひっくり返されたことあるけど、これで「鹿政談」もまた聴けるようになる。

仲入り後は続いて三喬さん、今年9月の彦八まつりでは実行委員長を務めるとあって寄付のお願い。5000円から10万円コースまであるらしい。そして文枝問題をさらっといらって、夏噺の「蛇含草」に。
これも三喬さんで初めてかなと思っていたら、同じようにかなり以前に一度聴いていた。夏噺好きの僕としてはとても楽しみだった。
三喬さん餅の焼き方食べ方がとんでもなく上手い。並べて食べて並べ直してまた食べて。まるで家で餅焼いてるのを早送りしたみたいだ。で、最後に友人が男の家を訪ねてきて、奥の間のふすまを開ける前に、なんやこれねちょねちょやがなと足元を。この演出は初めてみた。この伏線がすぐに活きる。そこから下げ前で噺を止めて、
「みなさん、この下げを聴いて次の三つのことを言ってはいけません」
そうや思たわ、と、江戸のそば清と一緒や、と、もう一つなんやったかな。三喬さん、途中で結構噺を止めて解説入れることあるけど、この人の場合それで流れがとまらない。むしろ流れが加速する。今日もこれを入れたことに乗って下げがよりぴたっと止まってみえた。
この秘訣、次の機会にじっくり観察したいな。

最後は喬太郎さん「文七元結」。このネタ出しなのに出囃子は「東京ホテトル音頭」。最近ネタと関係なく二席目出囃子はウルトラマンとかそんなんが多い。
文七元結も何年か前に一度聴いてる。今日はそんなんはっかりだ。でもその時喬太郎さんのどの調子が悪くてとても残念な気持ちだったのを思い出した。今日は全然そんなことない。期待が高まる。
冒頭から結構テンション高く始まって、長家から吉原と場面が変わって長兵衛の気持ちの変化を中心に噺が展開ししていく。
そして、吾妻橋のシーンへ。この噺上方の、特に女性の落語ファンがよく言うのは「あの噺おかしい。なんであそこで知らん人にあの50両やることできるのん。江戸やったらできるんか。そんなん江戸でもできひんわ」。ほとんどみんなこういう。確かに僕もそれを感じる。だったらライブの落語でそれを感じなくしてほしい。それが演者の腕じゃないか。
橋の上で長兵衛と男が対峙する。喬太郎さん、男の気持ちはほとんど出さずに、長兵衛の気持ちの揺れ動き、細かな変化を、丁寧にすごく丁寧に描いていく。長兵衛にしたって50両やれるはずがない。それが最後は渡してしまう。この件聴いて今日は僕は納得できた。長兵衛と同期できた。
で、その後ハッピーエンドてのが芯の筋書きで、この噺人情噺だけど前半から最後まで笑いの要素もかなりある。それを噺の芯を崩さずに受けさせるの難しいと思うんだけど、喬太郎さん完璧だった。
喬太郎さんの落語の最大の魅力は古典と新作の噺のギャップだと思っていて、今日はそれは期待していなかったけど。「文七元結」という噺の中で、人情と笑いの両方をきっちりと見せてくれた。
今日この噺を聴くことができて本当によかった。

ということで今年も素晴らしい会だったけど、これは演者の腕だけじゃなくて会場の素晴らしさにもよる。このエルセラーンホールというのは、四ツ橋筋沿いの堂島にあるホテルエルセラーンの5Fにあって、400キャパの中ホールだ。今日僕は下手11列目通路側で聴いていたのだけど、客席の勾配が少しずつ角度がついていく感じで後ろの方でもみやすい。また、音的にも全く拡散しないでダイレクトに飛び込んでくる。
このホテル自体が新しくて、特にネームバリューのあるところでもないので、当然ホールの知名度もまだまだ低いけれど、いいホールだ。落語はもちろんもっといろんなことにつかってほしいなと。
もっと大きないいホールは大阪にもたくさんあるけれど、この規模の中ホールでこれだけ観客目線でつくられているところはそんなにないと思う。来年がまた楽しみだ。