2016.1.30 【上方落語をきく会・南天しごきの会@シアタードラマシティ】

 【上方落語をきく会・南天しごきの会】

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上方落語をきく会」はABCラジオ主催で昭和30年に第1回が開催された。その後中断していた時期もあったけれども、何年か前からまた毎年開催されている。
そして今年は昭和47年に始まって昭和63年に終了した「しごきの会」が28年ぶりに復活。これは有望な若手噺家が三席ネタおろしをやって、その合間に大御所、師匠連が一席語るというもので、第一回にしごかれたのは当時の桂小米、のちの枝雀さんだった。
で、今回は枝雀さんの孫弟子にあたる南天さんがしごかれる。更にこの「上方落語をきく会」はABCラジオで生中継される。今日も合計8時間30分にわたって延々ライブで放送された。最近はラジオやテレビの落語番組もまた増えてきているんだけど、生中継はまずない。
そんな意味でも貴重な一日。僕は昼の部を家で聴いて、夜の「南天しごきの会」は現地に向かった。

咲之輔 / いらち俥
南天 / 秘伝書
南天 / たちぎれ線香
仲入り
ざこば / 笠碁
南天 / 火焔太鼓

この会は上方では珍しく前座の名前が当日までわからない。かつ、前座のみラジオ中継にはのらない。そんな条件だけれども、会場では当然貴重な開口一番だ。

咲之輔さん、そういう立場をはねのけて素晴らしい「いらち俥」だった。この噺比較的若手の人がよくする。みるからに体力必要そうな噺てこともあるのだけど、二人出てくる車夫のうち後半の威勢のいい方にばかり気がいって、
前半のよぼよぼの車夫は噺の中で引き立て役的ポジションしか与えられていないことが大半だ。
でも咲之輔さんのは、この81才と年齢まではっきり設定した車夫のキャラがすごく立っていた。これがあるから後半がまた際立つんだ。今まで聴いた中で指折りの「いらち俥」だった。
ただ、後半の飛び跳ねて回るところはもう少し抑え目の方がいいのではと思った。やりすぎるとそこばかり残ってせっかくの噺全体の印象が薄くなる。

そして南天さん、一席目は「秘伝書」。この噺、よく受けてた。噺自体にかなり受けるパワーがあるように思う。でもみなさんあまりしない。どうしてかな。普通にするだけで受けすぎる噺だからかな。なにか一般的には演者の印象が残りにくいのかもしれない。それだけよく出来た噺なんだろうけど、南天さんいくつかくすぐりを入れ込んでいて当然面白かった。寄席の出番とかに使いやすい噺だろうけど、南天さんもっともっと触って行きそうに思う。そういう意味では先が楽しみな噺だ。

続いてしごき人の一人目は文珍さん。自分がしごかれた時の思い出、師匠の先代文枝さんとかだったらしい。そこから物忘れの話になっていき、とてもつかみどころのない噺をしますというふりから「粗忽長屋」。この噺好きです。江戸噺だけど、初めて聴いた時落語の世界の懐の深さに感心したのを覚えている。
この噺はさげの「抱かれているのは確かに俺だが、抱いてる俺は一体だれだろう?」という世界観につきると思う。で、そんな世界観を違和感なく表現しなけれないけないわけで、文珍さんまくらの時からふわふわしてるなと思っていたけど気持ちはもう噺に入っていたんだろう。
八が熊を(名前これでよかったのかな)長屋に呼びに行って顔会わすなり「お前死んでるぞ」と言い放つ下り、無理やり現場に連れてきて「これは確かに俺だ」と言わせるところ。こんな場面の、息というか、もって行き方が難しいと思うんだけど、文珍さんのセリフはさらっと抵抗なく入って来た。
そして、上で書いた本来の下げの後に、もう一段別の下げが。これがいわゆる落語の下げに近い。どっちがいいかわかれるところだろうけど、現実に戻すという点では僕は今日の文珍さんの方が好きだ。

そして南天さん二席目は「たちぎれ線香」、今まで何度も言ってるけど、上方落語のネタでこれほど客席に緊張をしいる噺はない。そして終わった時その緊張を気持ちよく感じるかどうか。もちろん演じる人にとっても、プレッシャーがあるだろう。
上方でいわゆる大ネタとよばれるものは「百年目」とか「らくだ」とか他にももちろんあるのだけど、とにかく「たちぎれ線香」は下げ前の若旦那の独白シーンで、必ず会場が物音一つしないほど静まりかえる。この緊張感がたちぎれなんだ。後、僕の好きな場面は冒頭で番頭が若旦那を諫めるところと、後半の朋輩衆が店にみんなで入ってくるところとかだけど、情を入れ込む加減がすごく難しいのだろう。
南天さんは、かなり持ちネタの多い人だと思うけど、やっぱりどなたでも僕ら聴き手がこの人に合うなと感じる噺とそうでない噺がある。「たちぎれ線香」も決して南天さんにぴったりくる噺ではないと思うけど、ここ2~3年のネタおろしで言えば「代書」も「らくだ」も最初はピンとこなかったけど、何度も聴いてるうちにどんどん変わってきて、今ではもう南天落語のレギュラーメニューだ。
たちぎれについても、まだまだ変わっていくと思うし、そのプロセスを見ていけば誰にもできない「たちぎれ線香」が出来上がるかもしれない。それを期待して南天さんのたちぎれをこれからも聴いていきたい。

仲入り後、もうひとりのしごく人はざこばさん。米朝宅で内弟子の頃、師匠と将棋をして負かしてしまい機嫌をそこねさせた話、子供のころからの知り合いで今プロの棋士の人に南光さんと別々に碁を習ってる話で、大爆笑の後「笠碁」。
この噺、江戸ネタの印象が強いけど、元々は上方だったらしい。江戸に移植されたのちこちらでする人がほとんどいなくなったためそんなイメージになってると、以前生喬さんの掛けた時の話だった。生喬さんは小里んさんから上方に戻せば、とすすめられて手がけたそうだ。生喬さんの「笠碁」すごくよかったけど、言葉以外の噺の流れは、向こうのよく聴く「笠碁」と同じだったので、そういう噺なんだと思っていた。
ところが今日のざこばさんは、かなり違ってた。待ったするかどうかで大喧嘩になり最後は仲直りするのは同じなんだけど、その間で二人の仲の良さがずっと全面的に出てる。そして普通の「笠碁」のように意地も張りあわない。あっさり仲直りだ。これはひょっとしてLOVEではないのかと思えるほどの展開。すごく斬新で初めて聴いた「笠碁」だった。でもこの構成誰が考えたんだろうか。
とにかくしごきに十分値するざこばさんの高座だった。

南天さん、「粗忽長屋」と「笠碁」やらないかな。

南天さん三席目は「火焔太鼓」。これは南光さん譲りで、南天さんがかなり早くから三席のうちの一席と公表していたし、南光さんの「火焔太鼓」は、うまく上方版に置き換えてる印象だったので、爆笑に違いないと僕らも一番気楽だった。南天さんも、上がってきてたちぎれの時とは違って明らかにリラックスしてるのが分かった。
で、噺はやっぱり大爆笑。南光さんの聴いた時にも書いたけど、この噺志ん生志ん朝のイメージでバリバリの江戸ネタという印象だけど、内容みるとかなり上方的なばかばかしい噺で、南光さんは小佐田さんと一緒に上方に置き換えたらしい。南天さん、それにさらに工夫を加える。「目いっぱい」とか、新たに付け加えた下げとか。やっぱり三席の中での完成度はこれが一番だった。

とにかく三席ネタおろし、しかも900キャパのホールが満員で、ラジオの生中継まである。こんな過酷なことはないだろう。僕がよく聴いている人の中でも、ネタおろしの完成度はまちまちだ。これでネタおろし?というほど仕上げて高座に掛ける人もいれば、新作派の人なんかはかなり粗っぽくても客席もそれを容認していて、完成へのプロセスを楽しむようなケースもある。南天さんはその中間ぐらいだと思うのだけど、かなりの確率で最終的にはものにしてはるのではないかな。
聴き手としても、これほど楽しみだった会はそんなにないし、南天さんもしごき人の人も含めて大満足だった。
ぜひまたやっていただきたいけど、昼の部のラジオ聴いていて、最後に再び舞台に登場したトリの三喬さんに対してアナウンサーの方が「三喬さんも三席ネタおろしどうですか?」と聴いて三喬さん「いえいえ」とか言われてたけど、今年と同じ条件でするとなると、かなり力量のある人でないと商品として成立しにくい。あまり若手といわなくてもいいのではと。三喬さんなら絶対に行きたいな。