2016.1.3 【南天紅雀の百年長屋落語会】

【1/3 南天紅雀の百年長屋落語会】

イメージ 1

昨日に引き続きやってきた百年長屋、こんな外観だ。築100年以上と言っても、基本構造以外はリフォームされているので古い建物特有の使いにくさはあまり感じない。実は去年この会があった時会場左手にあった柱が結構じゃまになっていたのだけど、南天さんがそんなことを言ってたら、今年は撤去されていたそうだ。オーナーのそういう柔軟性があればこそ、この建物の今があるんだろう。
大阪にはこんな建物まだまだ残っていると思うので、そんな場所でいろんな落語会が開かれればもっと楽しくなるに違いない。

紅雀 / あくびの稽古
南天 / らくだ
中入り

今日は紅雀さんから。足袋とか帯とかいろいろ忘れたと。いつものことなのにと思うけど、そんな人なんだろう。「あくびの稽古」は、噺の流れは普通であくび種も、もらい湯と将棋なんだけど、そこは紅雀さんでいろんな顔芸とかあくびの締めの型とか、わけの分からない面白さにあふれている。やっぱりこの人の落語は理詰めじゃなくてすごく直感的に創られてるんだ。で、僕はこういうの結構好きなんだけど、やっぱり天才紅雀だなと思う。
4-5年前に紅雀さんが動楽亭昼席で突然始めた「子ほめ(劇画ver.)」てのがあって、登場人物がみんなハードボイルドで苦みばしってセリフをしゃべる。あれは衝撃的だった。あんなのをもっとやってほしいな。

南天さんは「らくだ」。3年前のネタおろしで聴いて、去年2回目で、そして今回だ。ネタおろしの時「軽いらくだです」てことで、確かに軽いと言えば軽かったけど、あんな「らくだ」あまり聴けないので新鮮だった。去年聴いた時はこの噺の本寸法な部分と南天アレンジとがうまく混じりあって、もう軽くはなかった。そして今回、後半の屑屋の豹変の凄みが、かなり増幅されていてとんでもなく引き付けられた。でも凄みがあると言っても南天さんのテイストは当然残っていて、なかなか聴けないらくだには変わりはない。落語ファンが一般的に連想する笑福亭のらくだとは相変わらず趣きが違う。
この噺、女性の落語ファンで好きでないという人結構いるんだけど、やはり熊五郎とらくだのあまりのやたけた振りがいやなのだろう。でもそんな人でも南天さんの「らくだ」なら大丈夫なのでは。今度聞いてみよう。

今日のトークテーマは今年の抱負、2日間の来場者が書いたもの~アンケートじゃないな。絶対出さなあかん感じやし~それをもとに二人が話をすすめて気ままに脱線していく。今日は昨日と違って紅雀さんのが元気だった。面白かったこといくつか。

・落語会のお客さんに、噺家が次は友達を連れてきてください。てよく言うけど本当に連れてくる人ほとんどいない。だいたいここへ来る人は友達少ない。それで、ここに来てる人同志で友達になる。で、そういうグループがいろいろできる。群れるのはやめて外の友達を連れてきましょう。
→こういうことを客前で平気で言えるのもホームだからだけど、連れてきても普通の人が一人で落語会来るようになる確率は限りなく低い。だからコアな落語ファンもおたくなんだと僕は思う。

・中には主婦の落語ファンていう人もいるわけで、そういう人は平日夜の落語会来る時は旦那と食事しない。で、それが例えばざこば師匠や南光師匠の会に行くというなら、旦那さんも「そうか」となるだろうけど、南天紅雀なら「誰やねんそれ」とならないのか。「そんな知らん奴が俺より大事なんか」と、ならないのか。→ドキッとした人いたと思うけど、旦那も落語ファンにしてしまえばいいんだ。そういう人いるしな。

・歌舞伎や文楽の時南天さんはイヤホンガイド派、紅雀さんはそんなん不要派で字幕もいらないと。意味が分かっても分からなくても舞台が常に一枚の絵みたいなものなので観たまま感じたままを受け止めればいい。文楽の字幕は邪魔でしょうがない。やっぱり紅雀さんらしい天才肌なんだ。

とにかく楽しい二日間だった。ぜひ来年もやってほしい、というより「べにてん」をここで開催できないのかな。個人的に座敷ダメなので雀のおやどへは行かないから、特に紅雀さんを聴く機会が普段は減っている。「べにてん」は元々中崎のちょっと変わった場所でしてたんだし、百年長屋はぴったりじゃないかと。おやどのようなべたの固まりみたいな場所は「べにてん」には似合わないと思う。